今回の日本滞在の目的は、二つ。一つは、震災地へのボランティア奉仕、一つは、イッピー・ミュージック・ヴィデオ制作のためです。私達の神様は、とても素敵でユニークな方です。それは、いつも私に与えられたミッション以上のサプライズをなされるからです。ここに神様が、下さったとっても素敵な恵みのエピソードを紹介させていただきます。
信仰のチャレンジ
今回の滞在の多くの証の中で、一番、私にとって心に残ったのは、「義人の祈りは働くと、大きな力があります」という御言葉を体験したことです。ミュージック・ビデオの台本を読んだ時点から、学校撮影は、チャレンジだと分かっていました。「不可能を可能にする神」「神に不可能なことはないのです」・・・この映像は、「日本の学校の中で、聖書の真理が解かれる時、この国は大きく変わる。いや、いずれその日が来る」という預言的なものだと私はとらえていました。しかし、目の前の現実は、廃校ですら「特定の政治、宗教団体に学校を貸さない」という規定がありロケのために借りることができず、撮影1週間前になっても場所が決まらないというものでした。私の心は、あせりと現実へのいら立ちの中、問題解決に集中したいと願い、その思いにとらわれていきました。しかし、その思いとは裏腹に更に次々と訪れる予期せぬ奉仕の数々で、私は、主の働きに押しつぶされそうな思いで、主の前に出て憐みを乞いました。そして、その時に与えられた御言葉は、「人の心には多くの計画があるが、主の計画だけがなる」というもので、私は、問題を解決しようと集中するがあまりに問題に囚われるものとなり、主の介入があることを信頼することができない状態になっていることに気が付かされました。そして、祈りの中で、自分の計画を一切主にお委ねし、私に与えられた一つ一つの事を丁寧に向き合いうことを主に前に告白しました。そして、期限が迫る中、ある姉妹が「どう?」と声掛けをしてくれ、事情を説明し二人で涙ながらに主の御前にへりくだり、助けを願い出ました。そして、その数時間後、ほぼ無理かと諦めかけていた学校の撮影許可がおりそうだという吉報が訪れ、翌日、ロケハンがなされました。
「信仰があれば、主が必ずしてくださる。」と言うのは簡単です。そして、自身でそれを今まで体験し、主を信頼していても、実際にその現実の壁の前に立たされる時、生きた心地がしませんでした。しかし、主の御前に遜り、自分の心のあり方を悔い改め、憐みを願い出た時、主はその祈りに速攻で答えてくださいました。
この体験は特別なものがありました。祈りこそ力である。絶えず祈りなさい・・・この御言葉が私に受肉化しますよう・・・まだ、制作費の捻出といった大きな山が動いていませんが、イエス様が教えてくださったように「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。」・・・今、イエスキリストの御名によって、私達の目の前にはだかる山よ、海に入れ! アーメン
家族との時間
今回の旅で、主が特別に私に報いてくださったのは、東京での父との時間でした。以前から学びたいと願っていた「日本人のルーツ研究セミナー、第4回 神道、仏教、と古代キリスト教」 久保有政氏のセミナー、VIPクラブの主催に父と参加できた事です。父は今、ドンキ・ホーテ、カント、孔子と独学で雑学に励んでおり、このセミナーのテーマは父にとっても良い刺激になるのではないか、また80歳を前に父との時間があまり多く残されていないと思い、よい時間を過ごしたいと祈り求め、参加を呼び掛けたところ二つ返事で承諾してくれました。東京の父の常宿のホテルで待ち合わせ、セミナー会場のお茶の水へ、私はこの地で二十歳の頃、報道カメラマンになる為の学びをしており、青春時代を思い出しました。こ洒落たイタリア料理店で、ワインと軽食を楽しむ嬉しそうな父の笑顔、翌日の国立美術館でのパウル・クレー絵画鑑賞等々、その全てが言葉にならない良質の時で神様に心から感謝します。そして津田滞在の最後に妹の子供が、私を訪ねてくれた事がとても励みになりました。そこでも神様が、DJの賛美集会、無人島探検、屋島観光など、教会の多くの兄弟姉妹を通してイエス様の愛を彼に注いでくださったことが、とても大きな祝福であり報いでした。あまり家族について、祈ってこなかった私ですが、主が憐みをかけてくださっている幸いを感謝します。末筆ですが、この宣教の働きを多くの祈りを積み、心を一つにして支えてくれたフィンランドの兄弟姉妹、そして尊い捧げもので働きを支えて下さった団体、個人の方々に心から感謝申し上げると共に、主が、豊かに其々の方を祝してくださいますよう。 栄光在主 たくみ